(2004/6/21プロパン・ブタンニュース)

尹 宣海
(ユン・ソネ=通訳・翻訳者、国際交流研究所研究員)

ベトナムで得たもの

 先週ベトナムに行ってきた。初日、ハノイ国際空港に着いたのは夜中の11時だった。日本とは2時間遅れの時差があるので、本来ならば寝る時間に動いているのだから少し疲れを感じた。それでも、亜熱帯地域特有の蒸し暑さの中、外国に来たことを実感し気持ちよい興奮を覚えた。次の朝、ものすごくうるさい音で目が覚めた。時間を見るとまだ5時半。カーテンを開け、町を眺めると異色的な建物の間をバイクに乗った人が流れるように動いていた。
 朝食を済ませ、借りた車でホーチミンの墓と博物館を見に行くことにした。まだ5月中旬の朝8時だというのに、その蒸し暑さには参ってしまった。墓に向かう途中、私は生まれて初めて死体を見た。バイクに乗った人が後ろから来た車に跳ねられた様子だった。2台のバイクが倒れていて、だれもそれを気にしているような人はいなかった。「またかよ」みたいな顔をし、通り過ぎていた。多分、誰かが道路から死体と壊れたバイクを除けて置いたのだと思ったが、それにしても無残な姿であった。人が死ぬのを心配するより、自分が生きることを心配する。と、語らずとも、そう感じた。
 出発前に心配していた「スリ」こそ居なかったが、「ワンダラー(1j)、チョンウオン(1000ウォン)、カネ、マニー」と数カ国語?で物乞いをする子供はどこにも姿を現した。可哀想だとは思ったが無視した。
 いずれこの国も経済発展を成し遂げ、世界に名を知られる企業や人物が活躍をすることは間違いない。しかし、今は自分一人生きることに精一杯で、人が倒れ死んでも構っている暇も、道を譲っている余裕もない。可哀想だといわれようが、1j得られれば1日生き延びることができるから、また子供は道に出る。
 最近「何で私は生きねばならないのか」などと無闇に悩んでいたが、その答えらしきものを、ベトナムで見つけた気がした。