(2003/1/20 プロパン・ブタンニュース)

<社説> LPガスの歴史は業界の手によって
地域に根ざした需要開拓

 ■エジプトの教え
 ナセル大統領時代(1954〜1970)末期、第三次中東戦争終結後のことである。ナセル大統領はパレスチナ問題の和平解決の仲介役として奔走している最中、過労のため心臓発作で倒れ死去した。最期を迎えていたアラブの盟主に宛てて「ナセルよ、どこへ行くのか」「ナセルよ、エジプトをどこへ導こうとしているのか」という訴えが、国内ばかりか中東全域に渦巻いた。そこに現れた一つの答えが「エジプトはエジプト人のエジプトである」という伝統的発想だった。エジプトはアラブ諸国の中で、当時も今も農業が盛んな定住型国家である。
 なぜ、30年以上前の中東世界のでき事を出したか。
 その頃日本で起こったでき事と、今日の中東事情や日本のガス市場改革とが二重写しになったからだ。その頃のでき事とは昭和45年の「簡易ガス事業」の誕生である。LPガス業界史にとって忘れ得ぬ都市ガス紛争の調停の果てにたどり着いた結論が簡易ガス事業制度の創設であった。あれから33年。都市熱部会報告書はその後編、ガス業界の融合史としてまず読んだ。
 報告書は21世紀になって初めて国によって書かれた『都市ガス政策史』である。その一篇に簡易ガス事業の原料に天然ガスを認めると記してある。天然ガス利用拡大の一策として既定路線だから、何も今さら驚くことはなかろう。されど「簡易ガスよ、どこへ行くのか」「国よ、石油やLPガスをどこへ導こうとしているのか」という疑問はより強くなるのである。
 ■主目的は天然ガス市場の形成
 LPガス業界は2年間に及んだガス市場制度改革の目的と結論が、報告書に丁寧に書かれた「わが国の本格的な天然ガス市場を形成する」ことに尽きることを思い起こしてほしい。この政策が実行されることによってこれから起こるであろう、年間千1900万トンのLPガス需要構造の不安定さ、業界全体の収支の悪化という点にも目を向けてほしい。国際的にはLPガスのアジア最大輸入国・消費国の地位を早晩、中国に明け渡すことを覚悟しなければならない。
 なぜ、天然ガス市場の形成なのかは論を待たない。わが国のエネルギー供給構造が原発の新規建設の不透明・不確実性に強く揺らぎ、エネルギー安定供給確保策として原発問題の解決とともに、石油等の中東依存からの脱却と地球温暖化防止という課題を同時に達成することが政府の公約であるからだ。都市熱部会報告書と、師走の27日にまとまった電気事業分科会報告書はそれを一層強固にするエネルギー政策史の重要な一章を占めるものと言ってよい。
 ■不透明・不確実な天然ガス
 半面、都市熱部会報告書がLPガス市場に及ぼす影響は決して小さくない。それは偏にLPガス市場の縮小がより強まったという一点に尽きる。一度失った需要を取り戻すことの大変さは、オール電化住宅問題でまさに業界が直面しているところである。
 報告書は@天然ガス・マル簡、ガス導管事業者の両制度を創設するA電気事業者、国産天然ガス事業者、一般ガス事業者が保有する導管を接続して開放するB2005年から小売自由化範囲を年間契約数量50万立方m(LPガス換算約456トン)以上まで拡大し、2007年には年間10万立方b(同約91トン)以上まで拡大する−などの具体策を提言した。これは天然ガス需要の潜在力を見込んで、国策の最優先課題が全国導管網の建設にあることを筋道立てて説明したものである。
 ところが、現実には天然ガスが利用可能な地域は導管網敷設沿線に限られ、それは国土面積のわずか5.5%に過ぎない。全国導管網の建設スケジュールや官民の負担比率、路線図は不明確かつ不確実である。第三者に開放される予定の全国24カ所のLNG基地でさえ、ローリー出荷が解禁されるまでには出荷設備の整備や運営会社と利用者との相対交渉、道路運行許可など規制緩和を含む課題が山とある。技術面では天然ガスはLPガス、灯油のように容器や缶に小分けして販売できる商品になっていない。安定供給面では石油とLPガスにある備蓄制度がLNGになく、輸入会社も限定的だ。こうした点をどう見るか。
 ■地域の交流史・需要開拓史
 LPガス業界の黎明期は今から半世紀前である。以来今日までにLPガスはヒト・モノ・情報のネットワークによって社会の奥深くに入り込んだ。あたかも各々の土地に小さな種を蒔き、地下水の力を借りながら花園にするような時間の流れによってである。LPガス社会は都市社会資本型、公共投資型の都市ガス社会とは成り立ちが違う。それが理由でLPガスの役割が過小視されたり、曲筆されたりするものでもない。
 LPガスの歴史は地域単位に繰り広げられたヒトの交流によって培われた需要開拓の歴史に他ならない。
 これからも地域に根差した業界人がその土地にふさわしい需要開拓事例を創ることで、歴史を書くしかないのである。