福田 潮のイスラム講義 21世紀の課題−イスラム文明との平和共存
福田 潮(室蘭工業大学客員教授、前日本石油ガス社長)
プロパン・ブタンニュース 平成14(2002)年1月28日〜2月25日
第1回 価値感、多様性認めあう プロパン・ブタンニュース 2002/1/28
1、文明衝突の時代は来るのか
東西冷戦の象徴的存在といわれたベルリンの壁が崩壊した1989年から4年後、これまでのイデオロギー間の対立に代わる新しい対立軸として、文明間の衝突の時代が来るだろうと予測したのはハーバード大のハンチントン教授であった。教授の著作は98年日本でも出版され、当時ベストセラーになったし、また米国テロ事件後も沢山の人に読まれているようである。
その教授が9月11日の事件直後のインタビューで「今の所、文明の衝突には発展しないようにみえる。何故ならイスラム過激派といっても、イスラム圏人口12億のなかでは数千人程度の少集団に過ぎない。衝突阻止のためには、如何にしてイスラム諸国の政権にビンラディン一派の影響力が及ばないようにするかだ」と答えている。果たしてその後の世界の流れはどうだろうか? 以下そのことを検証してみたい。
事件直後のブッシュ政権のスタンスを振り返って見てみよう。米政権はその時テロ行為に対する正義の味方の出動 ビンラディン一派への制裁・撲滅を唱えながら、同時にイスラム、アラブ社会とこの事件を混同させない配慮、文明の衝突という捉え方を明確に否定して見せようとする配慮が感じられた。またアフガン攻撃、タリバン包囲網を作り上げるに当たっても、ブッシュ政権はこれまでとは180度方針を転換して、多面的な外交活動を精力的に展開し体制の構築を図ったといえる。
しかし米国は本当に変わったのだろうか、あるいは変わろうとしているのだろうか? この問いに自信を持って肯定的に答えられる人がどれほどいるだろうか。何故ならブッシュ大統領誕生以来テロ事件発生までの間はわずか半年ちょっとしかなかったが、その間に世間は何度もアメリカ・モンロー主義復活の亡霊をかいまみて来ているからだ。その最たるものは、地球温暖化ガス削減条約締結国京都会議、所謂COP3からの離脱宣言であり、その他にも核不拡散条約、地雷除去条約への批准拒否等々、米国が自国の利益を最優先させて他国を省みない動きに出た例は枚挙にいとまが無いが、それらの米国の自分勝手な行きすぎた一極大国主義の弊害に、世界中が辟易しているからではないだろうか。
今回のテロ事件、それに続くアフガン戦争にかかわる世の中の議論を聞いていると、西側世界から発信される論調に、西側世界の優位性を前提におく差別的で傲慢な論義が横行しているように思える。つまり先進文明である西欧文明の価値観に立ち、イスラムを後進文明と決め付けて議論しているようなケースを良く見かける。自分たちの所属する文明を進んだ文明と思いこみ、その外の文明を遅れた文明と考える人くらい文明音痴な人はいないのではないだろうか。アフガニスタンの首都カブールが開放された時、ブッシュ大統領が恒例のラジオ演説を、歴史上初めてファーストレディのローラさんに代行させたという報道があった。首都カブールの開放が同時に抑圧されてきたアフガンの女性開放をもたらした、そのタイミングにあわせてローラ夫人の口から「女性の権利と尊厳を守るために共に闘おう」と言った趣旨のことを、イスラムの女性たちにアピールする狙いがあったと思われるが、これまた文明音痴でもありまた傲慢な感覚のもたらした所業だといわざるをえない。
イスラム圏の政治的支配下にある地域人口は、20世紀に入ってから急激に膨張を続けており、人口では既に西欧キリスト教圏を遥かに上回る12億に達している。支配地域も全世界の21%と西欧に肩を並べる所まで拡大してきているという。こういう事実がイスラム文明圏との摩擦を怖れる人たちの、心配の種になっているようである。もちろん、文明間摩擦の可能性を論ずる時に、その大きさや膨張性だけで論じても説得力のある話にはならない。
大切な事は当該文明が異文明との接触の中で、お互いの価値観の違いや多様性を認め合う柔軟で包容力のある文明かどうか、ということではないかと思う。
第2回 一神教VS覇権主義 プロパン・ブタンニュース 2002/2/4
2、イスラム文明の内なる葛藤
それでは9・11テロ攻撃により当事者となった米国を代表する西欧文明と、隣接するイスラム文明との間にはどんな相違点があるのだろうか。
当然のことながら両者の異質な点は列挙できないほど沢山あるが、似ている点も多々あり、むしろこの似ている部分の方が実は大変問題なのではないかと思われる。
まず両文明の基礎ともいうべき宗教を比較すると、キリスト教、イスラム教はそれぞれユダヤ教とともに、どちらもエルサレムの地に聖地を、しかも隣り合わせに抱えているという状況にある。即ち両者は2千年以上も前にルーツを同じくして発祥した同根の宗教であり、偶像崇拝を片や受け入れ、片や絶対拒否するという違いはあるものの、どちらも一神教という共通の要素をかかえている。
しかし厄介なことは一神教であるが故に、絶対神の教えに忠実でなければならず、他宗排除の思想も強くならざるを得ないといえる。これが過去において両者がたびたび紛争を繰り返して来た原因だったのではないだろうか。特にイスラム教の場合は、絶対唯一神アラーのもとに絶対服従することが求められるし、コーランがすべてであるために多様な価値観が育ちにくい宗教社会であるとも言える。これに反してアメリカはもともと多民族国家であり、多様な価値観を認める社会ではあった。しかしそのアメリカも政治体制は直接民主主義を採っているために権力の二重構造性が弱く、したがって政治のチェック機能も弱いと言える。同時に政治的意図が働いて一国主義に走りやすく、冷戦終結後は米国の一国独善外交、覇権主義への傾斜が強まっていた。特にテロ発生以前のブッシュ大統領には、内向き発言が目立っていたことが、世間の人々の記憶に今も新しいのではないだろうか。
イスラム教には一日五回義務付けられている礼拝の儀式がある。この毎日の礼拝という生活習慣化した行事は、日常生活のなかに見事に溶けこんでおり、そのために国とか主権国家とかの意識が希薄になるのも無理からぬところである。また、それゆえに統一国家の国民と言う意識、さらには国境の概念にも乏しいと言われる所以である。それに反し西欧文明の場合には、歴史的に主権国家による統治という形で近代国家を成立させてきたのであり、この両文明を考える場合に、それぞれの歴史的発展過程が異なると言う点を無視してはならないと思う。
また「イスラム」と一口に言うけれど、それが地理的な広まり、歴史的発展過程のなかで、それぞれのイスラム国ごとにそのあり様は微妙に変化してきていることを、外国からの訪問者は敏感に感じ取ることができる。このことに強い危機感を抱いて動き出したのが、いわゆる「イスラム復興運動」や「イスラム原理主義運動」と言われるものであり、その運動の狙いは「イスラムの理想を具現化するために、民族や国家よりもムスリムとしての宗教的アイデンティティーの構築を優先させる」ということにあるようだ。
イスラム教の教えとしては1300年前にムハンマド(マホメット)が遺した二つの経典『コーラン』と『ハディース』しかない。イスラム法学者はたったこの二つの経典を元に、科学技術の進歩した複雑怪奇な現代社会におこる諸問題を解明し指導しなければならない立場にある。結果として法解釈は地域、国によって微妙に違ったものになるだろうし、それにあきたらない一部の人たちや、貧困、就職難等の深刻な社会問題に直面する人たちには、イスラムの原点に戻ろう と言うイスラム復興運動の呼びかけに、共鳴を感じ始めているのでいるのではないだろうか。
イスラム原理主義と一口に言っても過激派のそれから穏健派までさまざまであり、国別にみても私の経験ではサウジアラビアは現在でもかなり厳しいイスラム原理主義の国だと思う。原理主義者とは「イスラムの教義をできるだけ狭く解釈しようとする考え方の人たちだ」と言えば、それほどはずれていないのではないだろうか。
第3回 悩めるサウジアラビア プロパン・ブタンニュース 2002/2/11
3、イスラムの盟主サウジの役割と将来
イスラム諸国の中で特にサウジアラビアは原理主義的傾向の強い特異な国だ、と言うことを前回の講義で紹介した。それは何故か。ご承知のようにサウジはイスラム教発祥の地であり、国内にメッカ、メディナというこの宗教の二大聖地を抱えている国であり、この二大聖地の守護者と自らを位置付けている国でもある。
イスラム教には毎年1回ハッジと呼ばれる聖地巡礼の大行事があり、世界中の各地から毎年200万人の信者がこの二大聖地の巡礼に訪れる。ムスリムにとっては一生に一度だけでもこの巡礼に参加することは義務でもあるし、また願望でもあるという。国別、地域別に巡礼者を割りあてる仕事をはじめとして、行事のすべてを取りしきるのは当然サウジである。宗主国としてのサウジ。その影響力の強さは測り知れないものがあるように思われる。
イスラム文明圏におけるサウジのこのような影響力は今後とも維持されるのだろうか、それとも将来変化していくのだろうか。この問いに答えるのは容易ではないが、この国を現在実質支配しているサウド王朝の現状とその将来展望から先ず見てみよう。
ここ数年間絶えず言われ続けていることだが、サウジはいま社会的混乱の元になる火種をいくつか抱え込んでいる。一番大きな問題は若年層の就職難、失業者増の問題である。湾岸戦争の際に米軍が持ちこんだ異質の西側文化の蔓延をどう阻止するか、IT革命によってもたらされる西側情報を国民の日常生活からどう遮断するか、財政難にともなう公共料金の若干の値上げをどう国民に納得させるか、過激派原理主義の拡大をどう抑制するか等々、政権にとって悩ましい問題が山積している。加えて王朝の継承・存続問題は間近に迫った大きな問題である。
現在のファハド国王は初代から数えて5代目に当たる80歳。病弱のため1年ほど前から異母弟にあたるアブドラ皇太子(78歳)に執務をまかせるようになってきている。ファハド国王は自他ともに認める親米派といわれているが、アブドラ皇太子は開明派というか現国王の路線とは異なり、必ずしも親米ではないといわれており、このまま6代目に自然に昇格するのか、それとも別のプリンスから選ばれることになるのか諸説あるようである。
ちなみに2代目から5代目までと現皇太子までは全員サウド大王といわれた初代国王の直系2代目のプリンスたちである。サウド大王(1880−1953)は身体頑健の大男だったようで、周辺部族との闘争を繰り返しながらサウジアラビア半島を平定し、1932年、リヤドにサウド王朝を建てることに成功した。夫人の数は名前が確認されているだけでも19人いると言う。第二世代は名前のわかっている人だけで58人と言われているが、アブドラが昇格しなければ第三世代(4千人とも言われている)から次の国王がでることになる。そうなれば、たとえ王朝体制が維持されたとしてもどんな変化が起き、それが中東全体にそして世界にどんな影響を及ぼすか、真に予測しがたいのではないだろうか。
米テロ事件の直後でもあり現在のところ、アブドラ皇太子も対米関係を重視せざるを得ず、あらゆる機会を捉えてテロ非難を繰り返し、同時に高位のイスラム聖職者を動員しながら、テロ排除の国内世論作りに躍起になっているようである。それにもかかわらず一般のアラブ社会、国民の間にはテロ容認論も強いという。問題の根源はパレスチナ・イスラエル紛争にあるわけだから、ことはそう簡単に片づけられる問題ではないけれど、ブッシュ政権が本気になってパレスチナ問題の解決に取り組まないと、アラブ社会のテロ容認論が次第に大きく育ってくる怖れなしとしない。
和平路線を再構築することが可能なのか。これらの問題の処理如何が今後のサウジが歩むであろう道筋に大きな影響を与えるであろう。そしてこの問題は石油供給ソースの80%以上をアラブ・イスラム圏に依存している日本にとっても、極めて重要かつ影響力の大きい問題である。われわれはもっと重大な関心を持ってこの対応を考えておかねばならないと思う。
第4回 サウジアラビア原風景 プロパン・ブタンニュース 2002/2/18
4、イスラム教の特徴
筆者がLPGビジネスに深くかかわることになった、1980年代後半の時期は国内原油精製工場から生産されるLPGだけでは、国内需要の20%も賄えない状況がずっと続いていた。したがってLPGの安定供給をはかるべき元売各社は必然的にその供給ソースを国外からの輸入に求めなければならなかった。
当時、輸入ソースとしては中東アラブ諸国が圧倒的な供給量を誇っていたが、サウジアラビアの供給シェアが抜きん出て最大であり、各社ともサウジとのパイプをいかに太くするかに腐心していた。いま中東へ行こうとしても直行便は飛んでないが、以前はアブダビまでJALが飛んでおり、89年夏に筆者はその便に乗り込んだ。途端に機内アナウンスが耳にとびこんできた。「ただ今アブダビ空港の地上気温は摂氏44度でございます」と。一瞬わが耳を疑ったが、日本語のアナウンスを聞き間違えるわけがない。しかもその疑いが10数時間後に晴れることになったのは、アブダビの街中の混雑で「この地獄のような蒸し暑さは気温48度、湿度100%のせいだ」と聞かされた時であった。
イスラム教はかくも厳しい自然条件の中で、そして他文明との触れ合いも比較的乏しい中で育まれて来ただけに、外部からみるとかなり異質な価値観を持った文明だ。特にサウジにおいては守るべき生活習慣上の掟が、他のイスラム諸国と比べても遥かに厳しく実行されていることが旅行者でさえも実感できる。例えばアルコール、豚肉、香辛料の類がタブーであることは昨今では広く知られていることだが、アルコールについて言えばサウジ国内ではたとえ外国人や異教徒であっても厳禁である。もっとも最近は規制が少し緩くなっており、外国人が密輸品や密造ワインを飲む分については、目こぼしされるようになって来たが、10年位前まではサウジの国中どこを探しても入手困難であった。ちなみにサウジ以外の中東では外国人、異教徒であれば以前から入手可能であったし、アジア地域その他のイスラム諸国では外国人の酒飲みには比較的寛大だと言えよう。
サウジには女性の問題になると、男女の問題を含めて日本人にとっては想像できないような厳しい掟がある。女性の街中への外出は基本的には認められていない。どうしても必要な場合には保護者である父親または夫の許可が必要だし、その場合には黒いベールと黒いコートの着用が義務付けられている。髪や肌の露出を禁じているわけだ。肌の露出と言えば女性の水着姿でさえも、たとえ写真であろうとそれが有名な泰西名画であろうと、入国時に所持していることが見つかれば問答無用で没収か、運が悪ければ入国を拒否ということになる。ちなみにサウジ人女性には運転免許は交付されない。交付されることがあってもそれは保護者である父親、または夫の名において間接的に交付されるようである。ご承知のようにイスラム法は4人までの同時妻帯を認めているが、同時に4人を平等に愛することを条件付けており、男性の女性にたいする保護責任を強く求めると同時に、家族単位の結束を促す狙いがあるように見える。
サウジの人たちにとってこのような女性の位置付けや決まりが抵抗無く受け入れられ、日常の生活習慣化している背後には、宗教警察の存在とイスラム法に基づく体罰という掟も、支えになっているのではないかと思われる。体罰として良く知られているものに鞭打ちの刑がある。これなどは一番軽い刑であるが、この刑の執行をめぐって西側と揉めた最近の例としては、シンガポールで軽犯罪を犯した米国青年にたいする鞭打ち刑の執行をやめるよう、クリントン大統領が働きかけた例があるが、大統領の外交努力は当然のことながら功を奏さなかった。その他、男女間の不義密通に対しては残酷な石打の刑があるし、極刑は公開の場で行われる打ち首の刑であろう。
厳しい戒律や掟を守らせるために、イスラムの定めに基づき体罰を厳しく執行するサウジでさえも、テロの首謀者と目されるビンラディンには体刑を科さず、国籍剥奪の上、国外追放という処分だけにとどめていたのは何故か。過激なテロ行為は到底許容し難いとしても、主義主張まで否定することができないサウジ政府にとって、これは大変悩ましいことなのではないだろうか。
第5回 共通システムの発見を プロパン・ブタンニュース 2002/2/25
5、平和的共存の可能性について
イスラム教を考える場合に、その最も特徴的な思想は何かと言うと「万民平等」の思想であり、それを具現化した形が「1日5回の礼拝の儀式」であるといえる。つまり人々は誰でもこの礼拝において、同じ時間に、同じ場所で、同じ方角を向いて、身分の貴賎を問わず、同じ身なりで、一人ひとりが直接神と向き合う。ここには参加者の間に全くの差別が無い。まさに万民平等の共同体思想がここにあるといえる。またモスクへ行けばそこには聖職者は居ない。そこには媒介者たるお坊さんが不在でしかもオープンであるから、信仰者は常に神と直接向き合うことになる。
聖職者といわれる人たちの仕事は何かと言うと、イスラム法の解釈をあるべき生活様式に当てはめ、人間生活の規範あるいは善悪の判断を示していくことにある。そう言う意味でイスラム教は個人の生活様式に深くかかわって行く生活の道具あるいは生活様式であって、宗教ではあるが宗教ではない、といわれる所以である。
イスラム教はこれまで縷々述べてきた通り、西側から見るとかなり異質な宗教であり、なじみにくい文明といえよう。にもかかわらずイスラム文明は、いま西欧文明が直面している諸課題の解決に役立つようなヒントを、いくつか投げかけてくれているような気がする。
日米両国はいま民主主義の根幹にかかわる問題にメスを入れざるを得ない状況に立ち至っている。日本では代議制民主主義の制度的欠陥を補うべく、首相公選制の導入を含めた直接投票を求める動きが活発になり議論も始まっている。今の進んだIT技術をもってすれば昔は考えられなかったような、民意を直接政治に反映させるようなシステムを創り出すことはそんなに難しいことではない。前回のアメリカの大統領選出にともなう混乱を見た時、進んでいるはずの米国の制度がいかに旧態依然としたものであったか驚かざるを得なかったが、IT技術を使えばこれまでよりもより早くより正確に、結果が得られる様になることは間違い無い。
その点ではイスラム教のシステムは組織がもともとフラットであり、一人ひとりの信者と神の間の距離は極めて短い。IT技術に頼らずとも民主主義的な制度の受け入れ可能な下地が、生活習慣のなかに根づいているといえるのではないだろうか。
また発達した資本主義は国境の垣根を取り去り、金融も、情報もそして製造業までもが国境を超えて動き回るボーダーレスの時代に突入している。しかし、この点についてもイスラム文明は、資本主義文明よりも遥かに先行してボーダーレスの時代を生きてきており、イスラム復興運動は国境を超え民族を超えて、広がろうと大きな野望をいだいている。思想や目的は違っていても、時代の流れの中で見えてくる形態やシステムは共通してくる部分があるのではないか、そこにわれわれは共存の可能性を見つけ出して行けないものだろうかと思う。
イスラムと他文明との共存を妨げる要因はまさに種々雑多である。パレスチナを巡る中東和平を少しでも前進させることが、障害除去のため何よりも必要なことであるが、イスラム自身に内蔵する問題もある。文明の活断層地域と言われる中央アジアからバルカンにかけては、20世紀はイスラム教が絡んだ民族宗教紛争が絶えることのなかった地域・時代だったと思う。
イスラム1300年の歴史の中で比較的民族宗教間の軋轢が少なく、長期間平和が維持された時期はオスマントルコ帝国の時代だったといわれている。オスマントルコは多民族、多言語、多宗教が混在した帝国であったが、オスマン朝は多種多様な人間集団の共存を認め、極めて緩やかな統一集団として運営したと言われている。われわれが文明間の平和共存を考える場合に、参考になる歴史的教訓ではないだろうか。
最後にイスラム自身の自浄作用として期待したいのは、イスラムと他文明との平和的共存を可能にするようなイスラム法の教義解釈ができるような、指導力のある高位のイスラム聖職者が現れることである。大変難しいことかもしれないが、このことを大いに期待したい。 おわり