須 田 安 祄 氏


花も實もある協会長の裁量
栃木県LPガス協会会長
須田安祄氏


ウエーブ・風 話題と肖像画/ナリケンがゆく <186>

 栃木県LPガス協会は、4月19日に開かれた今年度第2回理事会で副会長の須田安(やす)ネ介(すけ)・須田商事社長を会長に選任した。任期は通常の改選期に当たる来年5月までである。任期途中で、新会長が誕生したのは、前会長の松島甚三郎氏が「健康上の理由」として辞任したためである。栃木県協会長は、初代会長・佐藤順(ミヤプロ社長)、二代目・川俣春雄(カワマタ社長)、三代目・松島甚三郎(松島ガス社長)、そして須田さんが四代目会長となった。
 須田会長は昭和49年栃木県高圧ガス保安協会(現栃木県LPガス協会)理事(理事歴32年)、51年県協栃木支部副支部長、53年栃木支部長、55年県協会副会長、平成7年日本簡易ガス協会関東支部栃木県部会長、10年栃木県LPガス卸売協議会会長、18年日本簡易ガス協会関東支部副支部長などを歴任。日連本部では村瀬三郎会長時代に保安部会で活躍、首都圏の各県正副会長と親交を結び広い人脈を持つ。また現在、栃木市議会議員を3期務め、今年で12年目である。地元栃木市に昭和12年生まれの68歳、円熟味を益した働き盛りである。
須田家の事業
 お父さんの須田幸一氏が昭和4年に薪炭などの燃料商・須田商店を創業。44年、須田商店の卸売部門を須田商事として法人化。初代社長は父・須田幸一氏、同55年に安ネ介氏が社長に就任。
 須田商事は現在、下都賀郡大平町にLPガス充填工場があり、栃木市と大平町の2カ所にガソリンスタンドを経営。LPガス販売量は2,500㌧/年、LPガス顧客数は約1万軒(直売5,000軒)である。
 須田商店の卸売部門を法人化して須田商事になったとき、直売部門は須田商店としてそのまま残り、50年代になって須田燃料に社名を変更して安ネ介社長の弟の亘彦さんが社長に就任、今日に及んでいる。
県協会創立50周年祝賀会
 栃木県LPガス協会は昭和31年1月に設立されたので今年、満50年が経過した。さる7月5日の県協の今年度第4回理事会は、協会創立50周年記念祝賀会を今年9月15日に宇都宮市のホテルニューイタヤで開催することを決めた。併せて理事会は、13支部正会員890人からの出席者数、永年勤続役員、大臣表彰受賞者への表彰状授与、来賓・招待者、記念品など大綱を決定して県協挙げての祝賀気分が理事会を包んだ。
県協の収入、支出取り扱い事務要領の決定
 協会の「収入、支出取り扱い事務要領」は、協会の公金を私的流用防止策の事務化である。理事会は県協本部口座から松島前会長が支部長を務める足利支部の口座に振り込まれた4件の使途不明金に特別調査委員会を設けて調査した。調査委員会は5年間をさかのぼって調査を行い、栃木県協本部口座にすべて返却されていることを確認した。報告を受けた理事会は、「今後このような問題が起こらないような対策の必要を痛感」「今回のような独走を許したのは理事会にも責任がある」として「松島甚三郎前会長の長年の功績を考慮、足利支部への貸付金」の判断を下した。今回の問題を教訓とし、「収支取り扱い事務要領」を作ったのである。また、会長の在任期間を3期6年に定めることも承認された。以上のような経過を一貫してリードしたのは須田安ネ介会長だった。検察の検事のように厳しく追及するだけでは事態の解決にはならない。大人のセンスというべきか。
あじさい坂、千段のきざはし
 須田会長を訪ねたのは6月23日の梅雨(つゆ)の霽れ間だった。今日いろいろ話したことは7月5日の理事会後に書いてくれよと念を押された。会長の独断と判断されたくない配慮である。
 そしてご自分の運転でJRの栃木駅におくってくれた。真っ直ぐ栃木駅に行くかと思ったが、急いでいないかと問うて太平山県立自然公園のあじさい坂に案内してれた。
 石段が千段もある太平山神社への表参道沿いに紫陽花(あじさい)が色とりどりに4,000株も咲きほこっていた。須田会長は、上まで行けば関東平野が一望できると1,000段もの階段を登ろうとしたが、記者は暑さに辟易して遠慮した。麓の茶店に憩い、焼き鳥、厚焼き、団子をさかなにビールで涼をとった。そして近々、雨の滴(したた)るあじさい坂に来てみようと思った。
 帰途、車の中から太山寺前庭の枝垂れ桜を指して樹齢350年、春にはさくらが太平山いっぱいに咲きみだれる。この道を「円通寺平」という、桜が4,000本もあるんだと須田会長は教えてくれた。
 雨季のあじさいだけではなく春はさくらもと、花も実もある協会長の裁量を思い合わせて帰って来た。

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