マイコンメーターが引っぱって
日本LPガス機器検査協会専務理事
加藤俊一氏


ウエーブ・風 話題と肖像画/ナリケンがゆく <168 >

 財団法人日本LPガス機器検査協会(LIA)の専務理事・加藤俊一さんは、平成15年6月に中小企業庁長官官房企画官を最後に退官して現職に就いた。それから2年10カ月が経過した。この財団は、LPガスの利用で消費者ミスが生じにくい器具、また災害防止型の機器製造のために適合性検査、試験を行う国が認定した機関で、昭和43年3月に設立された。来年は設立40周年を迎える。
 検査品目は①ガス栓=適合性検査合格品②調整器=自主基準検査品(平成8年合格品から10年に、それまでは7年)③高・低圧ホース=自主基準検査品(平成8年合格品から10年に、それまでは7年)④燃焼器用ホース(保険期間7年)⑤金属フレキシブルホース(保険期間10年、基本的に燃焼器交換時に交換)⑥ホースバンド(保険保証期間2年)⑦ガス放出防止器(7年自主基準品)⑧ガス漏れ警報遮断装置(自主基準合格品10年)⑨マイコンメーター(計量法10年)⑩配管用長尺フレキ管(保険期間7年)――と多岐にわたる。
周辺機器も伸びる
 これらの検査品目を年間どれほど実施するか。その総てをここに列記するには紙幅が足りない。加藤専務は主要機器のマイコンメーターが指標になる。これが動けば周辺機器もそれに連れて動く。平成16年度のマイコンメーターの検査実績は126万台、これに対して2、3月を残しているが、17年度は160万台、19年度500万台、20年度、21年度はピークでそれぞれ600万台を見込んでいる。それ以降は計量法による検満で22年度450万台、23年度290万台、23年度250万台、24年度には200万台を割ると想定している。
 マイコンメーターと同様に高圧ホースの16年度の検査実績は246万8,000本、17年度は200万5,000本(今年の2、3月は予測)。これに続く18年度は285万本、19年度は440万本、19年度は440万本、20年度は490万本、21年度500万本、22年度500万本、23年度440万本、以降は300万、250万に減少と想定している。単段式調整器、自動切替式調整器、2段減圧式調整器など調整器全体を前記同様に実績および想定を示すと、16年度135万3,000台、17年度101万3,000台(2、3月は想定)、18年度130万台、19年度250万台、20年度280万台、21年度290万台、22年度295万台、以降の年次は漸減。これらの実績と予測数字は、マイコンメーターを中心に周辺機器が17年度を底にして好転することを示している。
難産だった検査協会の誕生
 加藤さんとの対談を終えて筆者は「日本LPガス機器検査協会の歩み」を書架から取り出して200ページ余の本を一気に読んだ。検査協会が設立10周年を迎えたときわが社が委託を受けて書き上げた書籍である。その108ページの「国検へ、難産だった検査協会」(通産省指定の財団をめぐって―42~43年)の要点を抜き書きしておこう。
 「技術的には調整器、高圧ホース、コック、などそれまでの全協基準の実施もあったから、それをベースとすれば成り立つ。何しろ資金拠出問題には頭を悩ませた。資金拠出はいくつかの場で協議検討されたが、中々に結論が出て来ない。この仕事を継続するか、打ち切るかの瀬戸際に立たされた」と、全協検定“育ての親”の井上雅義専務理事は当時を回顧している。
 この頃、井上が資金集めに奔走していたことは容易に想像できる。全協が検定らしきものに手をつけてからずっと、その意義を説いて歩いた長い道程を考えると、国検を眼の前にしながら、“誰も検定の本当の意味を理解していなかったのか”という痛恨の想いを抱いていたに違いない。しかし、道は突然開けた。
 昭和43年3月6日、LPG生産輸入懇話会(加藤正会長)が常任理事会を開き指定検定機関の問題を提案するからと、全協連の岩谷直治会長、井上専務理事にも出席を求めて来た。
 生産懇にはこれまでにも何度か出資の話は持ち込まれていたので、井上はこの日に最後の望みをつないだ。財団設立の期限が迫っていた。そして懸案は思わぬ形で決着をみた。同常任理事会の席上、生産懇側から「もしわれわれが出資しない場合はどうするか」との質問が出されると、「その時は私が出します」と、出席を求められた側の岩谷自身が明言した。傍にいた井上は、“これで決まった”と思ったそうだ。その頃、プロパン・ブタンニュース1面の週言は、「思わぬ業界混乱の恐れ、検定機関の速やかな指定を」と円滑な事態の収拾を訴えていた。
 かくて新法の猶予期間である44年10月前に検査体制を整えることができた。「岩谷直治理事長が業界に代わって基金2,000万円を拠出、桂精機の丸茂桂社長の赤誠による用地提供があり…」と、当時の記録にある。
お人柄にほだされて
 加藤専務は秋田県和協町の人。検査協会の仕事はこれからマイコンメーターに引っ張られて忙しくなる。だが、検満の関係で先行きまた検査数が減ることを覚悟しなければならない。何んとか業界のためになりたい。
 自分のお祖父さんは東京・秋葉原で薪炭商をやっていた。秋田から薪炭を貨車で運んで東京で売り、その利益で田舎に田畑を買い集めた。空襲が激しくなってやめたそうだが、自分が今、LPガスに携わっているのもくしき縁だと言う。
 加藤さんは、これもオフレコ、あれもオフレコと言わずにいろいろ教えて下さった。それで記者もつい初代専務理事・井上さんの話に及んだのである。

プロパン・ブタンニュース/石油化学新聞社(C)