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(2005/5/23プロパン・ブタンニュース)

大和商事社長
五十嵐亮造氏
たのもしき二代目社長

新潟県柏崎市に本社がある大和商事株式会社の五十嵐亮造社長は、全国LPガス卸売協会新潟県支部長でもある。五十嵐社長は昨年10月23日に起きた中越地震にLPガス業界がどう対応したか、から始めた。卸売協会新潟県支部長名の署名がある「新潟県中越地震災害報告(05年1月19日付)」の文書を示して話してくれた。
 この報告書はA4判30nに@16市町村449カ所の避難所対応は受け付け窓口を県協会1本にしぼり担当会社を割り振り、そのLPガス供給設備費用を県協会は無償にしたA仮設住宅の設置場所は総じて都市ガス区域にあったが、その63%の2,179戸のLPガス供給工事を引き受けた。その費用明細の決定B新潟県の防災組織体制に県協会が登録されていなかったことは一般のボランティア並みの扱いで救援、防災活動に支障をきたした。今後の重要課題だ――と指摘するなど貴重な経験と教訓が述べられている。
 LPガスは10月26日にほぼ復旧、11月11日に復旧宣言をした。
 五十嵐社長はLPガスが災害に強いエネルギーであることを再認識したと言う。県からも表彰状を頂いた。天災は忘れたころにやって来る。この報告書の一読をお薦めしたい。
 五十嵐社長は、親の七ひかりで今日のわが社があると言うが、昭和57年に創業者の父上・弘造氏からバトンタッチしたときの経営規模の2倍に発展させている。
 親の七ひかりと言う真の意味は、父・弘造氏が昭和16年に帝国石油柏崎鉱業所に入社、ここでLPガスと出会い、早くも昭和23年に県内産のLPガスの将来性を見越して大和商事を設立した。家庭用LPガス販売が全国各地で始まる5、6年前のことである。その先見性に敬服するという意味での親の七ひかりである。
中越地震災害報告の抜き書き
 10月23日午後5時56分地震発生、震源川口町震度7弱。24日、県協会と連合して対策本部設置。報告書は刻々の被害状況の収集や防災組織体制について述べられているが、ここでは16市町村449カ所の避難所へのLPガス供給と12市町村46個所2,179戸の仮設住宅のLPガス供給工事がどのようになされたかを抜書きしておこう。
 避難所へのLPガス供給設備費用は県協会が持ち無償とした。設備費用は、10`c(ガス込み)+機器1セット=2,000円、20`c(ガス込み)+機器1セット=4,000円、鋳物こんろ(並)2,000円、同(大型)2,500円、同(二重)4,000円。仮設住宅2,179戸のLPガス供給工事の工事協力は付表の通りである。
草分け的商社の伝統いきいき
 大和商事のLPガス販売量は、年間2万d、家庭業務用の直売が4,500d、卸先の販売店は現在55店ある。新潟県の販売店数は昭和38年がピークで1,700店あったが、現在は700店と減少している。大和商事の販売店もピークでは150店を数えたが、後継者難などで減少した。営業所は、県北部の阿賀野市、中越は長岡市、湯沢、南部は上越市そして柏崎市、頸城などに営業所を配置して商圏を全県にひろげている。しかしながら圧倒的に強いのは柏崎で、全体の半分はここでの商いである。また、LPガス事業の草分け的存在である大和商事の生い立ちがそうさせているのだが、お煎餅など米菓工場など工場向け需要が多い。だが、これらの工場向け需要に都市ガスの本管負担金なし、需要家のストレージタンク不要、その検査費用がいらなくなる等を掲げての猛攻を受け厳しい闘いを強いられている。それにもかかわらず五十嵐社長はタンクローリーを増車して奮闘している。1車両で月間100dを配送していたが、2車両にして150dを配送するようにしたと言う。このように工場向け需要に強いのは先代創業者社長・五十嵐弘造氏の余沢と言うべきか。
柏崎市の「いしぶみ」三つ
 柏崎市街を通りぬけた運動公園の一角、日本海の波音がすぐそこに聞こえる浜辺に鹿島鳴秋「浜千鳥」の童謡碑はあった。「青い月夜の浜べには 親をさがして鳴く鳥が 波の国から生まれ出る 濡れた翼の銀のいろ 夜鳴く鳥の悲しさは 親をたずねて海越えて 月夜の国へ消えてゆく 銀の翼の浜千鳥」である。もう一つは柏崎市御野立公園の一隅、能登半島を望む斜面に大場遍路の「能登岬はろけし月の かりわたる」の句碑があった。三つ目は、柏崎市大久保の洞雲寺の貞心尼墓碑である。「くるに似てかへるににたり おきつ波立居は 風のふくにまかせて 孝室貞心比丘尼墳」とあった。
 大和商事の会議室の掲額、先代社長五十嵐弘造の書に触発されて亮造社長からの取材後に柏崎市のいしぶみ探訪をした。


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