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(2004/9/20プロパン・ブタンニュース)

衆議院議員・自民党副幹事長
武州ガス、坂戸ガス取締役
山口泰明氏
根っからのガスマンのサービス論

 「いくさ無き世をよろこびし我なるにツインタワーより吾子は還らず」。世界貿易センターのツインタワーが一瞬にして崩落した9・11から3年、ニューヨーク市主催の追悼式典に臨んだ日本人犠牲者遺族の1人、住山一貞さんが詠んだ短歌である。住山さんは、この歌をはじめ自歌六十八首に英訳をつけた歌集「グランド・ゼロ(爆心地)の歌」を出版した。歌集は、ニューヨーク市が現場近くに設けた「ファミリー・ルーム」に連絡先を記したメッセージと共に置かれた。愛するわが子を失った悲しみは、言葉の壁を超え米国人にも伝わり、歌集を読んだ感想などが記されたメールが幾通も住山さんの許に届いているという。
 衆議院議員で外務大臣政務官(北米・中南米・アフリカ担当)だった山口泰明さんは、9・11同時多発テロ発生直後に国を代表して現地に飛び、邦人の安否の確認と救出に奔走した。その時アメリカでは市も州も国も1つになって余りにもまとまりが早いのに驚いたと言う。そして甲斐甲斐しく立ち働くボランティア、その80%は女性である。彼女たちは主婦であり、学者や学生、女飛行士、看護婦等である。全く知らない女性がクッキーを配っている。女性のストレートな行動に山口さんは目を見張った。
 また、事件発生後、24日にヤンキースタジアムで行われた追悼会では日本人犠牲者の妻たちがニューヨーク市民が示した献身的親切に感謝を表明したのには同席した小泉首相もほろりとしておられたと述べ、女性の力を再認識したと言う。
旭川ガスでの修行
 昭和48年、大学を卒業するや旭川ガスに入社した。母方の祖父である原次郎(武州ガス社長)の指示、あっせんによるものだった。当時、武州ガスの需要家2万3,000、旭川ガス3万、いずれも4Cの3,600`iで供給していた。また、両社はガス・デ・フランスのp―ナインの技術だった。自分では静岡ガスぐらいに行かされると思っていたが、旭川と言われてびっくりした。祖父は、知り合いの多い川越で大八車が牽けるかと言って、10万円の餞別(餞別)をくれた。初任給は5万4,000円だった。検針、調定、配管工事、1昼夜3交替の工場勤務など6年間、仕事も遊びも何んでもやった。北海道ではメーターが家の中にあって陰に隠れていて始めのうちはメーターの在り処を見つけるのに苦労した。
坂戸ガスの営業中心主義
 昭和54年4月、旭川での修行を終えて坂戸ガスに入社。坂戸ガスは、武州ガス、東京ガス、東武鉄道がそれぞれ30%を保有する会社で、社長・原宏は母方の叔父である。坂戸ガスで営業係長、同課長、同部長兼秘書室長と才腕を発揮する。この間、原宏社長は父・原次郎譲りの営業重視の考え方を徹底して行った。ガスを製造し、これを配送するパイプを敷設しても、お客がいなければ企業はなりたたない。祖父は、「100回の挨拶より10回の飯、10回の飯より1回飲め」と言って人と人の繋がりを強調した。研修もいいが、懇親せよとも言った。
本当のサービスとは
 サービスとは自己満足ではない。お客さまがこれはいいと感じ、さすがだなと言わなければ本当のサービスではない。最近、郵政民営化で特定郵便局の集まりでサービスの話をした。郵便局は全国に2万4,000もある。うち1万8,000が特定郵便局である。この特定郵便局は国民に一番近いところにいて常に人々に接している。人々の要求、願望を汲み上げるのに一等便利なところにいるのが皆さんだ。それを追求しなければと話したと言う。
 電力が攻勢をかけていると言うが、ガス屋の方が日常お客に余計に接触している。その強みを発揮せねばいけない。プロパン屋さんはもっとお客に密着している。
 ディスカウント・ストアでテーブルこんろは、3割引きが当たり前である。ガス屋では2割引きといったところだろう。だが、こちらにはアフタメンテがある。ディスカウント・ストアではガスがプロパンなのか、ブタン・エアなのか、天然ガスなのか店長は知らない。これでは安心感が得られない。さらに山口代議士はこうも付け加えた。20数年前、坂戸ガスで修理を頼んできたお客に電話で今日は行けないと断っているのには頭にきた。そして後日メーカーに行かせるでは駄目だ。自社で直せるメンテができなければいけない。
 いやはや、この方はただの代議士ではない。何でもよくご存知だと感服した。

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