ウェーブ・風  話題と肖像画 ナリケンが行く

(2004/1/26プロパン・ブタンニュース)

山陰酸素工業社長
並河 勉氏
第18代当主 梟の耳目で戦況を読む

  山陰酸素工業の並河なびか勉社長に久しぶりにお目にかかった。同社の平成十五年三月期の売上高百四十五億円、経常利益四億九千万円。部門別に見ると、売り上げ率はLPガス三二・四%、一般高圧ガス三〇・九%、工事部門五・二%、その他三一・五%である。また、同社系列資本の十三社、二組合で構成する「酸友会」の同年三月期の取扱高は六百九億円である。
 人口や経済などの指標で日本全体の一%という山陰市場でこのような業績を上げている並河社長に、@並河家と出雲地方のかかわりAヤマサングループの「酸友会」B山陰酸素のカンパニー制、そしてC結語として二十一世紀をいかに生きるかを聞いた。
出雲の並河家
 並河勉社長は並河家第十八代の当主である。並河家の先祖は丹波・亀岡の豪族である。今なお亀岡には並河姓が多い。亀岡の領主は明智光秀だった。中国路で秀吉は毛利勢と闘って苦戦していた。お前は背後から毛利を討って秀吉を助けよと信長は光秀に命じた。そこで光秀は先遣隊として並河氏を出雲に行かせた。並河家の先祖が出雲にいる間にかの「本能寺の変」が起った。並河氏は亀岡に帰るに帰れず出雲に土着した。
 並河家の先祖は出雲でしょうゆや酒の醸造、金融業などを営み、時移り天明三年(一七八三)に今の安来市に家を建てた。出雲地方の代表的商家建築である。宝暦・明和年間(一七〇〇年代中ごろ)におきた火災の教訓から現在の建物は細心の注意が払われ貴重な歴史的資料になっている。築後二百年以上経ったこの建物は、島根県指定の有形文化財「並河家住宅」として補修され保存されている。並河勉社長の今のお住いである。
 付言するが、この建物が建ったころ天明の大飢饉があった。飢饉に苦しむ人々に仕事を与えて救済する「お助け普請」だったという。
 山陰地方は古来、大陸文物移入の窓口だった。六世紀ころからの多くの蹈鞴たたら製鉄の跡が発見されている。近代製鉄以前の全国の鋼の八割がここで生産された。安来ハガネ「玉鋼」の伝統を受け継いだ日立金属安来工場は、世界中の剃刀の替刃の五〇%以上、携帯電話の基盤などを生産している。この日立金属安来工場のルーツも並河家が経営した安来製鋼所である。大正末年に日産コンツェルンの鮎川義介氏が安来製鋼所を買収した。
 現在、山陰酸素は同工場の隣接地の工場から酸素、窒素、アルゴン等の工業用ガスをオンサイト化して供給している。日立金属のみならず山陰酸素のセパレートガス市場は最近五年間に年率二〇%の急成長を遂げている。酸友会の自動車販売が日産自動車であるのもそのDNAの一つが安来にあるのかも知れない。
4業種13社2組合の「酸友会」
 山陰地方の人口は今以上に大きくなるまい。工場の進出も見込めない。商品の高い占有率を期待することもできない。然らば同系列資本は横に広がらなければならない。同系列資本の四業種十三社二組合からなる酸友会は、高圧ガス、食品、自動車、住宅など扱う商品が違うのだから販売は別々だが、経理、管理、資金調達などのマネージメントは一つでよい。
 これをUSSと言っている。U=unifide、S=simple、S=structure、統合された簡素な構造である。家電メーカーが日用品からハイテクまで多様な商品を作り、これを販売し管理している。総合商社も同様である。酸友会はそのミニチュア版で、ここで二十人、あそこで三十人が合理的に配置されてサービスを強化することができる。
カンパニー制
 平成十三年十月から山陰酸素は、本社・支店制をカンパニー制度に改めた。
 本社が支店業務を統括、管理していたが、東部販売、中央販売、西部販売、設備・検査の四カンパニーに分かち、売り上げから粗利益まで各カンパニーに責任を負わせた。この制度は地域で括って即断即決に効果的である。パソコンによる各カンパニーの報告はカンパニーの殻に閉じこもる弊害を無くし、経営会議で情報交換もきっちり行われる。
結語
 LPガスの将来をどう見るかとの質問だが、LPガスも天然ガスも電気もなくならない。問題は家庭用という市場でLPガスがどれだけ賛同を得られるかの戦いである。武器を持った戦争ではないが、私は「これほど魅力的だ」と主婦たちを納得させる闘いだと思う。何がエネルギーの主流になるか分からない。
 大都会で何が始まっているか、森の梟のように耳をとがらし、目を丸くして学習を心掛けて時流に乗り遅れないように心掛けている。
 最後にもう一つ、LPガスの牙城はそう簡単に崩せるものではない。


 プロパン・ブタンニュース2004/1/26 ナリケンがゆく ウェーブ・風  話題と肖像画


話題と肖像画・ナリケンがゆくを読む