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(2003/12/8プロパン・ブタンニュース)

宮入バルブ製作所社長
大山沢成
海外戦略 製造基準はオープンに

 宮入バルブ製作所の社長・大山沢成さんは、新進気鋭の若手経営者である。若手と言っても昭和三十三年生まれ四十五歳の男盛りである。その肩書きには『MBA』とある。「経営学修士=Master of Business Administration」の称号である。米国ジョージ・ワシントン大学の修士課程を修了して取得した。昭和五十六年、立教大学法学部を卒えた大山沢成さんは卒業式を待たずに渡米した。まずコーネル大学のビジネススクールで一年半マーケティングを学び、続く一年半はジョ ージ・ワシントン大学の経営学修士課程を修了した。アメリカ留学では随分と詰め込まれた。
 レポートの提出で本を読まねばならず、睡眠時間は平均三時間ぐらいだった。一緒に勉強した仲間には現在、代議士、会計士、弁護士など多士済済だという。昭和五十九年に帰朝、直ちに宮入バルブ製作所に入社して二十年になる。その間、購買課を振り出しに管理課、営業課長、同部次長、取締役企画室長、同海外営業部、同開発本部長、同統括本部長を経て今年六月に社長に就任した。
タイムトンネルに入って大山梅雄さんとの再会
 宮入バルブ製作所の半世紀におよぶ容器弁製作の歴史はわが国のLPガス事業の発展史と符合する。
 昭和二十八、九年にわが国でLPガスの家庭用利用が始まった。容器および容器弁、調整器等の製作がその発展を支援した。宮入バルブはこの時期に国産O―リングバルブを完成して旺盛な需要に応えたのである(石油化学新聞社刊『LPガス業界十年史』上巻二八一n所載の「プロパン用バルブの開発物語」に詳しい)。
 かくて昭和三十五年には甲府市郊外に六万坪余の用地に山梨県誘致工場第一号として甲府工場を建設、これが今日の山梨県南アルプス市六科の甲府工場である。
 宮入バルブの創業者だった宮入敏氏はO―リングの合成ゴムの耐用度を調べていたとき部屋の隅にあった練炭火鉢に引火して部屋中が火の海となり、これは大変とボンベを室外に放り出した。着物に引火して顔や手に大火傷を負った。プロパンで負った仇はプロパンで討つと宮入敏さんは言った。
 宮入敏さんはその後、大山梅雄さん(現社長の祖父)に会社を譲ることになったが、大山梅雄さんは会社建て直しの名人と言われた人で、これまた筆者は軽井沢旧ゴルフのメンバーで毎夏、共にプレーを楽しんだ仲だ。お祖父さまと風貌がよく似ている沢成社長と話しているとタイムトンネルを通って梅雄さんにお会いしているような気がするのであった。
イタリアの自動機も入ってフル稼働
 今はLPガスのバルクシステム用のバルブの受注が多く、工場はフル稼働状態だという。黄銅バルブのボディーを加工する自動工作機械を二年も前に注文していたものが漸く昨年十月に入った。イタリア・ヌッティ社製のマシニング・センターで、これまで加工に数十分は要したが、数分で完成する。病気療養中のお父さんの前社長の哲浩社長が注文した機械を息子の沢成社長が使うわけである。現状はバルクシステム用バルブの受注が圧倒的に多いが、容器バルブも持ち直してきている。今後、残量管理システム、配送システム、バルクローリー等のソフト部分に力を入れたい。また、新エネルギー、DME、水素、NGH(ナチュラルガスハイドレード)等にも対応して行くと前向きである。
5S運動
 生産管理システムに話が及ぶと、「五S運動」をやっていると、小むずかしい理屈ではなく、整理、整頓、清掃、清潔、躾(しつけ)の五つのSだと言う。トヨタが提唱しているNPS(ニュ ー・プロダクション・システム)を導入するに当たっての生産改善運動の基礎とも呼べるものであり、積極的に採り入れている。看板方式の“Just in time”もいいが、一番いい所は改善点を見つけることだ。もし改善点がもうないと言うのなら、その組織はも早や停滞し、成長が止まった組織である。
 沢成社長はMBAの称号を持つだけに会社経営上の意思決定の訓練ができている方だと感じ入った。
バルブも世界戦略が必要
 日本の製品は世界市場で生き残れる商品である。しかし、日本の製品は独自の法律で日本特有の仕様で作られ欧米でもアジア諸国でもそのまま共用できない。日本の製品は特殊で、海外市場向けを図るにはその開発に二重のコストを要する。保安は確かに大切であるが、そこは押さえた上で製造規格は世界に向かってオープンでなければならない。
 沢成社長は規正緩和を掲げる国際派である。


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