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(2003/7/21 プロパン・ブタンニュース)

来て!見て!比べて!ガスの良さ
新潟サンリン社長
古川 武氏

  新潟サンリンの古川武社長に新潟県のご出身かと問うた。直江津いまの上越市出身だと言って、当社の初代の社長だった曽根原功さんに拾われて(古川社長は確かに拾われてと言った)サンリンに入った。この表現には曽根原さんに見込まれてという感謝と自負の気持ちがうかがえた。
 曽根原功・新潟サンリンの初代社長は、昭和六年にミツウロコの前身の三鱗煉炭原料(株)に入社、当時同社専務・湯口昌氏の薫陶を受け、二十二歳の若さで三鱗無煙炭直江津支店の現場責任者に抜擢された。戦時統制下では新潟県石炭販売(株)直江津支店長、組織変更と共に北陸石炭販売(株)、関東石炭販売(株)の各直江津支店長を歴任した。戦後は三鱗商事(株)副社長、信濃三鱗(株)監査役等を経て昭和三十六年に信濃三鱗(株)(現サンリン)の四代目社長に就任した。
 新潟サンリンは昭和四十七年十一月に設立、翌四十八年一月に業務を開始した。
 ミツウロコとサンリン(株)は、新潟県で同じマークを掲げながら互いに同業他社と認識して日常しのぎを削っていた。また、そのころミツウロコは、LPガスのストレージタンクの建設を開始した。当時の新潟県の市場は小さく、経験者も少なかった。
 このような背景の中、ミツウロコ石油の出来島給油所の開所式があって、同式典に出席したミツウロコの田島震社長とサンリンの曽根原功社長のトップ会談が行われ、新潟県の市場を両社から切り離し、合弁会社を設立することを決めた。この決定に基づいて両社は新潟市場整備委員会を設けて、新しく生まれる会社の経営理念、当面の利益計画、会社定款等を策定した。
 かくて新潟サンリンは代表取締役会長=田島震・ミツウロコ社長、代表取締役社長=曽根原功・サンリン社長、専務=鈴木正男(管理部門管掌)・ミツウロコ新潟支店長、常務=古川武(営業部門管掌)・サンリン直江津支店長、取締役(非常勤)=鰐川義雄・ミツウロコ常務、等々力重信・サンリン常務、監査役=大内真六、大久保泰孝の両氏で発足したのである。
 古川社長は田島震会長から経営の厳しさをたたき込まれたと述懐する。
 毎月、決算報告に上京したが、いろいろと質問攻めにあって報告が終わるまでに汗びっしょりだったと言う。
 また、若くして直江津の現場責任者に抜擢された曽根原さんが新潟サンリン設立に当たり直江津支店長の古川武さんを新潟サンリンの常務に起用し、そして今日の四代目社長古川さんの資質を見ぬいた経営者の眼の確かさに思いをいたすのは筆者だけではあるまい。
第2創業期の新潟サンリン
 新潟県の世帯数はおおよそ八十万世帯で、うち都市ガス世帯が五十二万世帯である。公営の都市ガスが二十数社、私営の都市ガス会社が七社である。LPガス世帯は二十八万世帯、これを七百四十軒のLPガス販売業者が供給している。一販売店当たりの需要家数は少なく、需要家百軒に満たぬ協会員が百軒くらいある。県下のLPガス消費動向は厨房のみが七〇%を占め、風呂は石油が圧倒的に多い。LPガス区域での利用状況は厨房のみが六〇%強、給湯器があるもの三〇%強である。家庭用需要の半分が月間消費量五立方b以下である。このような状況でも石油や都市ガス、電気など競争燃料にお客が替われば二度とLPガスに戻ってこない。他燃料に喰われればLPガスの基本料金千八百円だから一軒につき年間二万一千六百円の損失である。それはそのお店の損だけではなく業界の損失なのだから手ぬきをするなと繰り返し業界に訴えている。
 当社はどうかというと、年間販売量一万五千d、うち卸一万d、直売(業務用・小口工業用を含む)五千dである。バルク供給は上越、下越にローリーを一台ずつ配しているが、サンリンが長野県でやっているようには進んでいない。
 古川社長は語をついで、昨年は節目の三十周年を無事終了した。今年から第二創業期だ。原点に立ち返り、基礎をしっかりさせようと、@自己資本比率四〇%以上A借入金を十億円以上減少させるB労働配分率四〇%以下にする。これを三年計画で実行すると社内に宣言した。
2年がかりで支部別展示会
 古川さんは新潟県LPガス協会の昨年度総会で協会長に就任した。昭和六十三年以来七期十四年にわたって同副会長だった。その間一貫して“業界は皆のためのもの”という想いを持ち続けて仕事をしてきたが、会長としてもこの考えを貫いていきたいとして、支部ごとに「LPガス展示会」を始めた。企画は各支部が立て、会員各社が自社のユーザーを会場に招き、来場者は様々なガス機器に触れ、楽しみながらLPガスの良さを実感できる催しにしている。
 これを二年がかりで八支部全部で開催する。今年三月八、九日には上越支部の展示会を開いた。初日は雨、二日目は雪にもかかわらず二日間で千四百組(約三千人)の来場者があり、機器販売額は二千六百万円に達した。上越会場の垂れ幕には「二〇〇三年エルピーガスまつり〜来て! 見て! 比べて! ガスの良さ!」と大書した。

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