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(2003/6/16 プロパン・ブタンニュース)

日本海ガス副社長
篠島 功氏
テルサ日本海、原点に返る

  日本海ガス(本社・富山市、新田八朗社長)は七月一日付で子会社・テルサ日本海ガスを合併する。新田八朗社長は合併後の新体制と管理職人事をさる四月一日に発表した。それによると、テルサ日本海ガス社長の篠島功社長は本社副社長に昇任、本社体制は管理、営業、技術、関連事業、天然ガス転換の五本部制に、各本部長は専務、常務があたり、篠島副社長は営業本部と関連事業本部を管掌する。筆者はテルサ日本海ガスの篠島社長とのインタビュー記事をものする積もりで富山にやって来たのである。その対談記事の書き出しは、テルサ日本海ガスの最近の決算(平成十四年十二月期)の売上が設立以来初めて百億円を突破したことから始めればよいと考えていた。そうではなく今日の対談は、日本海ガス副社長との対談でなければならぬことに気付いた。
 篠島副社長は日本海ガスのお客さまは、今年三月三十一日で都市ガス=八万二千三百三十七戸、LPガス=三万八千八百八十五戸、計十二万一千二百二十二戸。冷暖房需要では、GHPが都市ガス=一万一千三百三十三馬力、LPガス=二万六百八十六馬力、計三万二千十九馬力、吸収式は都市ガス=三万六千八百八十九冷凍d、LPガス=九千六百八十三冷凍d、計四万六千五百七十二冷凍dである、と日本海ガスグループの全体像から始めた。そして二代目社長である先代社長・新田嗣治朗氏が富山県の風土、人脈に通じて非凡な経営判断と果敢な行動で着々と供給区域を広げ需要開拓をしたことを述べた。
 日本海ガス五十年史は「岩瀬工場は新田嗣治朗社長が若き経営者として出発した原点であり、今日の日本海ガスの根幹である」(二一三頁)と述べている。岩瀬工場のガス生産と供給をコントロールするシステムは富山市内、太閤山地区、新湊地区の送出量をすべてコントロールしている。また、昭和四十七年には高岡ガスへのガス供給のために太閤山から二十三`bパイプを敷設した。さらに六十一年には新湊ガスを一億七千万円で買収したが、新湊のパイプの入れ替えには十三億円を要したという。かくて呉東、呉西に確固たる供給網を築いた。そして昭和六十一年三月にはテルサ日本海ガスを発足させた。
 新田八朗現社長のイニシアチブでLPガス部門を都市ガス部門から分社化し、住設部門を加えたテルサは、Total Energy and Living Service for Amenityの頭文字で会社の事業展開の方向性を示した。
 テルサは分散型エネルギーであるLPガスの特性を生かして金沢市の六千戸にLPガスを供給するなど石川県にも供給区域を広げた。また、富山市や高岡市の工業用LPガスの供給も少なくない。然しながらエネルギー間の競争が激化する現在、グループ内の経営資源を最適化し競争力を強化するには都市ガス、LPガスが一体となった営業体制を構築するに如くはないとテルサは本社に合併することになったのである。
ガス空調の大号令
 昭和四十五年ごろ富山市のベアリング等工具製造の不二越は当時三千六百`iだったガスを年間四百八十万立方bほど消費した。然し景気が後退すると百五十万立方bと、三分の一に減少する。そして燃料費の受取手形も長引く。先代社長はこれを緩和するために吸収式冷凍機によるガス空調を公共施設等へ普及すべしと号令した。現在、ガス空調機のガス消費量は百四十万立方bに及ぶ。篠島副社長が冒頭に述べた日本海ガスグループのGHPや吸収式の好成績は前社長が発した大号令以来の伝統である。
越中富山の反魂丹
 富山県は日本海沿岸で最も工業が盛んな近代工業県である。平成六年、富山市の興国人絹の跡地に藤沢薬品が工場進出した。この情報を得て篠島さんは県庁の紹介状を持って藤沢薬品の本社に行ったが、けんもほろろである。そこで嗣治朗社長に相談した。社長は学生時代の友人である富山医科薬科大学の山崎学長に電話をして紹介状を貰った。その紹介状の霊験はあらたかだった。藤沢薬品は富山工場で免疫抑制剤を製造している。製造開始のころはこの薬剤を認可したのはドイツだけだったが、フランス、イタリア、スペイン等欧州諸国が次々に認可し、三年目にはアメリカもこれを認可した。世界中の需要を富山工場が賄うことになった。製造開始時のガス消費量は七十万立方b/年だったが、現在は七百七十万立方b/年である。なお藤沢薬品は高岡にも工場進出して、ここにはテルサがLPガスを二千四百d/年供給している。また、藤沢薬品のアトピーの塗り薬のチューブを作る武内プレス工業の富山、滑川、本郷の各工場にテルサはLPガス五千五百d/年を供給している。富山の製薬会社・宏貫堂滑川工場はLPガス千五百d/年を消費する。
 篠島さんの話を聞きながら富山には「越中富山の反魂丹」の伝統が今なお息づいていると思った。富山県の工業が製薬業だけで成り立っているわけではない。新湊工業団地では住友電工やトヨタ系列のアイシン軽金属が電線やアルミの溶解をしている。同工業団地でのガス消費量は一億一千万立方b/年、日本海ガス西部支社の供給ガスの一〇%に相当する。篠島副社長は日本海ガスグループの営業の一端を話してくれたのであるが、地域の繁栄と共に発展した企業文化と言おうか、会社の風土がよく分かった。
 テルサの本社への合併は、「原点にかえる」に外ならない。岩瀬工場が新田嗣治朗前社長の原点であり、日本海ガスの根幹であったように(五十年史)篠島副社長は、諸々のエネルギー間の競争が激化する現段階で原点に立ち返ってこれまで以上のマネージメントをなさるに違いない。いや、篠島さんはプレーニングマネジャーの方がよく似合う。

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