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(2002/09/09 プロパン・ブタンニュース)


橋本産業社長
橋本 宏氏
お客が決めるカレーの売値

 橋本産業の社長、橋本宏氏は開口一番目下のデフレ経済下の会社経営に徹していると述べた。岳父である先代社長・橋本内匠氏は昨年8月12日に亡くなって早くも一年が経過した。先代は昭和2年に学校を出て実業界に入ったのであるが、それは金融大恐慌が勃発して銀行の倒産が相次ぎ暗澹たる時期だった。身をもってデフレを体験した先代はデフレ下では物よりも金だと強調した。インフレのときは貨幣より物が、土地も株も上がったが、今はその逆だ。平成3年ころからバブルは終焉を迎えた。いま銀行筋は保有有価証券の評価損が膨大な額になり銀行を危うくしている。
 そこで宏社長は自社の事業展開でも金融機関からの借り入れ依存度を圧縮して自己資金で行い、不急不要の物を持たず、遊休の土地なども処分して借り入れ返済に当ててかなり身軽にした。売掛債権の回収率を上げることにも力を入れた。かくて内部留保を厚くし、自己資本比率50%を超した。これらの措置は先代社長の遺言と心得ていると言う。
 お客の目線で考える
 いま電力会社が電磁調理器や深夜電力を利用しての電気温水器(エコキュート)等を掲げてオール電化住宅の攻勢に出ている。その言い分を聞いていると、エネルギー供給者としての言い分である。これに対してわれわれのガス事業側もガス供給業者の意見を述べているのでは電気とガスの供給業者同士が互いにエゴで主張しあっているだけだ。そうではなく、お湯をふんだんに使う人や料理をおいしく調理したい人の立場からどうなのかを論じなければならない。客の目線で見、客が選ぶというようにしなければならない。ここのところが大切だと思う。
 業種は違うが、親しくお付き合いしているレストラン「ジョナサン」の横川社長は、首都圏で300店のチェーン展開に成功した人だが、この店の商品価格の決定の仕方が面白い。例えばカレーライスのお値段は、それを作るコストからはじくのではなく、モニターに食べてもらってこれなら700円出しても買って食べるという具合に価格決定をする。そして従業員はそういうカレーライスを調理することに喜びを見出す。大切なのはお客さんである。
 日本一の灯油販売量を誇る
 前年度の橋本産業の灯油販売量は110万キロリットルで、実販売量では日本一である。商社などの場合、販売量が大きくても実際にその物流を行うわけではない。橋本産業は家庭用の暖房用灯油だから地域密着の物流業のようなものである。主な市場は売り上げ比率からみて東北と北海道が40%、関東40%、20%が北陸・中部・関西である。それらの地方に独立店が27、その下に50の拠点がある。全社売上高984億円の70%が石油で、うち60%が家庭用灯油である。
 このように話す宏社長は灯油販売日本一のディーラーの総帥としての自信に満ちている。社長は続けてLPG販売を概括した。
 全売り上げの15%がLPGである。卸売り中心に進めてきたが、物流が太く短くなり、いわゆる流通革命で効率化し卸の機能が変わってきた。同業他社でも直売に積極的に移行するところが多い。わが社も販売店の商権をおかすことなく、よい関係を保ちながら直売部門を増やし、ここ数年で直売の消費者が9万軒に達した。これを倍くらいにもって行きたいと言う。
 LPGも着実に直売を強化
 お話を聞きながら先代社長の橋本内匠さんが傍におられるような錯覚におちいった。ここ本社ビルの8階は内匠前社長の執務室兼応接室だった。内匠前社長の机はありし日のまま、じっこんにした佐藤栄作総理の机である。机上の文具も佐藤総理の遺品がそのままである。広い部屋の調度や掲げてある書や絵もかつて幾度かこの部屋で内匠前社長と対談したときと変わらない。灯油販売日本一をなし遂げた内匠前社長がLPG販売に出遅れたのはご自分の不覚であったと言ったことを思い出した。内匠前社長が灯油販売でしたように、宏社長は必ずやLPGでも確固たる地歩を築きあげるに違いない。
 [後記]対談を終えて帰りがけに宏社長は橋本内匠著「思い出すまヽ」―わが青春の軌跡(終戦まで)―を下さった。2晩かけて息もつかさずに読んだ。概ね生前に内匠前社長からお聞きしていたが、昭和20年終戦時に筆者は予備役陸軍少尉でソウルにいた。そのときの宿舎が三坂ホテルで、このホテルが内匠社長の三国石炭会社所有のものだったとは。奇しき縁(えにし)を思わざるをえなかった。

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