「お客に近い所で仕事をせねば」
三菱重工空調システム社長
岡 博氏



ウエーブ・風 話題と肖像画/ナリケンがゆく <182>

 三菱重工空調システムは、平成16年4月に発足した。岡博社長は初代社長に就いて今日に至っている。同社は、冷熱製品の周辺機器、機材の製造販売会社である三菱重工冷熱機材と全国の地域にあった6販社の冷熱部門を全国的に一本化して創設されたのである。同社はGHPやEHPなどの中量冷熱製品の販売・アフタサービス・メンテナンスなどのほか周辺設備の開発、販売をする。
三菱重工のGHP
 8~24馬力の六機種と豊富なバリエーションを持つ。COPは、ECO7型最高1.59、初期モデル0.94に比べ格段に向上した。ガス消費量も20馬力の冷房運転で約35%削減した。商品ラインアップは、室外機の組み合わせ大容量マルチ・冷暖フリー・発電機付き・リニューアルマルチ・標準ビルマルなど建物、お客のニーズに合わせて選べるようになっている。
 大容量マルチは室外機2台を合体させ配管は1系統で済み工事の省力化を実現、バックアップ機能により運転しながらメンテナンスやサービスができる。冷暖フリーは1台の室外機で冷房の部屋、暖房の部屋を使い分けることができる。発電機付きは1㌔㍗の発電を室外機のファンモーターなどに送電できる。リニューアルマルチは空調機更新工事に既設配管を再利用できる。室内機は加温器を内蔵して1台で空調プラス外気処理プラス加温ができる。その他に映画館・大型店舗・工場・学校・ホテルなどの大空間空調としてエアハンドリングユニットを組み合わせてシステム空調ができる。メンテ体制は遠隔監視体制を導入して早期通報、早期治療ができ好評である。
景気がよくなったと言うけれど
 景気がよくなったと言うが、われわれのところにお金が回ってこない。建築業界では伝統的に設備に要する費用がゼネコンやサブコンによって圧縮されるケースが根強く、これを避けるためにはお客に近いところで仕事をせねばならない。三菱重工冷熱システムのターボ冷凍機などはユーザーを説得して値取りができているが、わが方はいまだしの感を免れない。かつてはゼネコン、サブコン売りが30%ほどあったが、今は15%くらいに圧縮している。
 この話を聞いて記者は建築構造で大問題となっている姉歯建築士の事件を連想した。そして病院やホテルなどの建築では設備が占めるウエートが大きいのではないかと問えば、岡社長は正にその通りで人の身体にたとえれば設備は神経、躯体や意匠は皮膚のようなものだと述べた。「施主にもっと近いところで仕事を」の意味がよく分った。
日立との合併は解消、友好的協業に
 ダイキン工業がエアコン大手の米マッケイなどを傘下に持つマレーシアのOYLインダストリーズを買収すると報じられた。これはエアコンメーカーの世界戦略で、三菱重工グループと日立空調システムとの合併問題も全く同じ問題意識だった。しかし合併には至らず友好的協業という着地点に落ち着いたのは、欧州や中国での事業展開がネックになったようだ。両グループともヨーロッパは“ドル箱”で、共に一国一代理店主義をとっており、合弁会社の調整や販売網の整理統合が難しく、利益の圧縮につながる危険性も指摘された。そうした局面を乗り越えて緩やかな業務提携という着地点に落ち着いた2社会議に重工側委員として岡社長は出席した。
岡社長の空調のキャリア
 岡社長は昭和46年長崎造船所入社、同48年に本社冷熱事業部に、以後一貫して冷熱事業の国内販売と海外事業に携った。昭和59~平成元年の5年間は西ドイツ、デンマーク、スウェーデン、オーストリア、スイス等をテリトリーとしてヒートポンプチラーの販売、自動車関係でVOLVO、SAAB、BMWにターボチャージャーを納入した。この間に文化的経験で得がたい体験をした。
 平成元年、帰国後は冷機部空調機課長、平成7年本社冷熱事業部直販課長、11年三菱重工東日本販売(名古屋)空調冷機部次長、この時期にGHPの開発に奔走した。13年パッケージエアコン総括部長、平成14年営業総括部長(名古屋)、15年副事業部長(東京)、16年三菱重工空調システム社長。岡社長のキャリアを抜き書きしたが、これを見るだけでも三菱重工空調グループの中にあって空調業界全般に、歴史的問題を含め高い見識の持ち主であることがわかる。
対談のおわりに
 少し長い目で見ると電気は不足する。規制緩和でいろいろの人が電力事業に参入したが、ランニングコストが下がらず新規参入者は運営が難しくなる。太陽光や風力は3倍の値で買い上げられている。GHPは間違いなく勝れ者の空調機である。これをもっと普及させねばと対談を結んだ。 


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