ハードの上にソフトを!
広島ガスプロパン社長 
八木忠士氏
ウエーブ・風 話題と肖像画/ナリケンがゆく <160>

 広島ガスプロパンの八木忠士社長に課せられた当面の事業は、米田会長が社長時代(平成元年~同17年)に成し遂げた事業がLPガス物流のハードの整備であったに対してLPガス販売のソフトの整備にあると言える。
 八木社長とのこの対談の翌11月11日、広島県LPガス協会の創立50周年記念式典が行はれた。その祝賀パーティーの冒頭の挨拶に協会長の米田さんは、電力は50万kwまで自由化になる。九州電力は営業区域を越境して広島市内のスーパー・イオンに11月から送電するとニュースが報じている。電力料金は来春には4%ほど値下げすると言う。わがLPガスは原料輸入価額の高騰から値上げを検討していると述べた。米田会長のこのスピーチは、LPガス業界の今日の問題を端的に語った。
 八木社長との対談でもこの状況をいかに踏み越えて行くかが最大のテーマだった。
広島ガスプロパンの素描
 広島ガスプロパンの需要家は、18万5,000軒(簡ガスを含む)、簡ガス団地=31団地、許可地点数=2万2,384地点。昨年度売上高96億円(内ガス73億2,600万円、器具その他23億円)。ガス販売量9万1,864t。内工業用ガスが2万2,000t、自動車用が1万1,000tである。
 業務用ガスは、子会社の広島ガスエネルギーが主軸となって販売している。同社の販売のピークが夏季であるのは、GHPによる空調需要を積極的に開発したたまものである。
関係会社23社は無借金経営
 広島ガスプロパンの資本が入っている関係会社は23社である。かつては30社ほどあったが、再編統合されて今は23社になった。広島ガスプロパンはもとより、これら関係会社すべてが無借金経営である。ここに関係会社各社の販売トン数を列記して見よう。
 広島ガス東部=4,898t、広島ガス北部販売=4,280t、広島ガス西条販売=4,017t、広島ガスエネルギー=4,071t、広島ガス備後3,700t、広島ガス西部=3,000t、広島ガス呉販売=3,000t。23社すべての扱いトン数を示すには紙幅が足らない。別の機会に譲ろう。
 関係会社にはそれぞれ歴史があって、地域に1社ずつ作られたが、物流の合理化、経費の削減、空白地帯を無くし点から面を守備するために統合が進み23社に集約された。八木社長は今後、必要に応じて更に統合、集約を進め、例えば東部地区3社については最終的には統合の方向で面の活動を前進させたいと述べた。
東広島は元気がいい町
 新幹線を東京に向って東広島を過ぎると直ぐに4階建てのビルに広島ガスプロパンの看板の文字が目に飛び込んでくる。東広島は人口も増え、マンションも戸建て住宅も建ち、元気がいい町である。
 八木社長は、今年6月にプロパンの社長に就任するまで3年間、広島ガスリビングの社長だった。この会社は、100%ガス器具販売の会社であるが、器具の年間売上高を65億円から80億円に増やした。マンションのリフォームに目をつけオプション販売というのを試みたのである。それはマンションの厨房、家具、絨緞、カーテン、暖房部材などを手がけたのである。
 LPガス販売事業者は、ガラストップこんろ、エコジョーズ、床暖房、浴乾、ミストサウナ、GHP、エコウィルなど優れた商品が沢山ある。これらのガス器具を消費者に分り易く説明しているだろうか。また、工務店や大工さんにPRしているだろうか。やっていないとは言わないが、あらゆる機会を通じて積極的に行う必要がある。
米田会長が作ってくれた広島LPG物流センター
 広島LPG物流センターは、広島市と隣接する海田湾の一角に約1万6,000平方mの敷地に充填所プラットホーム(約1,600平方m)、物流センタービルがあり、12レーンの全自動回転式充填機2機と400tの貯槽2基と50t貯槽1基が配置されている。月間充填処理能力3,500t、1日当たりローリー出荷能力220tという設備である。これを広島ガスプロパンを軸に新日本石油、出光ガスアンドライフ、岩谷産業の共同出資で運営し、年間取り扱い量は四社で今年度6万t。充填コストは、キログラム当たり6円台になった。このメリットを当社だけが享受するのではなく、協同した他系列をも含めてメリットにあずかるのである。広島ガスプロパングループは、海田だけではなく広島県西部、福山、瀬戸内(佐伯、大野地区)、呉、岡山でも系列を超えて充填、配送の業務提携を展開している。これを堅持し、さらに発展させねばならないと言う。
八木社長は強運の人
 八木社長は昭和13年生まれだから終戦の昭和20年には7歳である。お父さんは召集され兵役に服していた。お母さんは5人の子供を抱えて広島市から尾道の実家に疎開した。原子爆弾が投下された3カ月前の昭和20年5月のことだった。母が疎開を躊躇していたら爆心地近くに住んでいたので間違いなく自分はこの世にいないと言う。八木社長は、米田会長が成し遂げたLPガス販売のハードの整備の上にソフトの整備を仕上げるに違いない。 

プロパン・ブタンニュース/石油化学新聞社(C)