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(2004/8/16プロパン・ブタンニュース)

山形菱油社長・山形県LPガス協会会長
金山宏一郎氏
「夫(つま)の眸中(まなか)の濃(こ)ゆき秋色(しゅうしょく)」

 山形菱油の金山宏一郎社長は、山形県LPガス協会会長を平成6年から10年も続けている。また、東北6県LPガス協議会会長でもある。金山さんは昭和13年生まれだから66歳、山形市七日町の人である。東京で言えば日本橋か銀座といった所である。極めて明朗で、社長の性格を反映して会社全体が明るく元気である。氏はスポーツマンでスキーもゴルフも上手だと評判を聞いた。
 山形は天災地変が無く、よい所だが、逆に活力に欠けると対談を始めた。人口も東北地方全体で神奈川県1県分しかない。したがって新築住宅も少ない。そんな中で昭和37、8年ごろに最後発のメーカー三菱液化ガスとの出会いだった。だが、わが社は「仕事に遅れ過ぎた」ということはないと考えて努力した。「台所にこんろ1台」の時代から「大型需要への消費者動向」を配慮する時代にわたって社員は力を合わせて業務を遂行してくれた。そしてメーカーの三菱液化と共に歩んだ40年余を振り返った。
 第100回東北三水会
 三菱液化ガスとの正式の取引は、昭和41年6月から始まった。それ以前は38年に三菱商事仙台支店燃料部が共同購入の窓口となって、「東北三水会」という協同組合方式でスタートした。常盤(ときわ)商事仙台支店(現在はトキワエコガス)、三菱石油の特約店の倉島商事(福島市)、山形菱油などが協同組合の仲間だった。当時、三菱商事は協同組合をつくらないと売らないと言っていた。それで三水会ができたのであるが、三水会の名称は、東京で毎第3水曜にLPガスの関係者が集まって懇談する会があった。その名称を借りて「東北三水会」と命名した。三菱液化ガスでは現在、「関東三水会」「東北三水会」のように地方ごとに「三水会」が組織されている。
 「東北三水会」は、昨年第100回三水会ゴルフ会を開いた。ずっとこの会に参加して感慨に耐えないものがあったと言う。縦割りで組織された三菱液化ガスの「三水会」は、取った取られたがなく、着のみ着のままで、お互いの背の丈も知って肩の凝らない組織である。こうしてお互いによいパートナーに恵まれた。長い間には人事異動などで人が変わっても気持ちは同じで続くのがよい。
直売志向で旺盛な投資
 昭和41年に三菱液化ガスとの取引が始まったが、山本温さんが担当だった。4dしか売れていないのに20dの貯槽を置けと言う。そのくらいしなければ張り合いがあるまいと言われた。その後、上山(20d×2基)、東根(20d×2基)、長井(20d×1基、10d×1基)、酒田(20d×1基)を次々に増設した。直売志向で1万3,000件余に直売、25件に卸売りをしているが、大型容器・メーター販売・NTTの電話回線の利用など計画配送と顧客管理を優先させた。これには三菱液化ガスと共に歩んだことが功を奏した。内にあっては大宮衛二専務が社員の意思を一つにまとめて盛り上げた力は大きい。
 工業用など大口消費者に500`容器でクレーン付き4d車で運び、所定の容器置き場に置いた。このために500`容器を100本ほど用意した。容器置き場は30〜40ほどあり、豪雪地帯にも有効である。
 昭和48年から58年に三菱液化ガスの仙台で山形菱油を担当した三菱液化の有倉康仁常務に補足取材をしたら、自分が担当した期間、山形菱油さんはすごい勢いで伸びた。直売はお金もかかるので投資も旺盛だった。有倉さんは山形県人気質なのでしょうか、郷土愛が強く明るいんですね。それが金山社長や大宮専務の言動に見えてうかがう度に感心したと言う。
天然ガス・パイプラインとオール電化攻勢
 天然ガス・パイプラインの影響は山形市や天童市など家屋が密集しているところでの都市ガスは恩恵を受けられるが、山形県には点在した消費者が多く、サテライトも難しい。先を心配するよりも今のお客さんを大切にすることが肝要である。東北地方では皆そのように考えている。電化攻勢については、東北地方のオール電化率は15%程度である。他の地方の40%という激しいものになってはいない。それは新築住宅件数が少ないことにも起因するが、われわれLPガスはLPガスによるエネルギーのベストミックスを進めるに如くはない。とくに給湯需要の推進は急務である。
齋藤茂吉論で盛り上がる
 「やかんこ」と いとけなき日の語に話す 夫(つま)の眸中(まなか)の 濃ゆき秋色。この短歌は、金山夫人の利子さんの作である。いい歌だと思う。「やかんこ」は櫨(はぜ)の実。山形地方ではこのように言う。赤く熟れて子供たちは口のまわりを葡萄色にして食べる。
 上山の充填所の話を聞いたとき齋藤茂吉に言及したら金山さんはにわかに雄弁になって茂吉論に及び、奥さんが詠んだこの短歌を披露してくれたのである。筆者は帰りの新幹線に揺られながらこの歌を幾度となく口ずさみながら帰ってきた。

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