(2004/4/19プロパン・ブタンニュース)

尹 宣海
(ユン・ソネ=通訳・翻訳者、国際交流研究所研究員)

文化は理解するもの

 自分の国を離れて長く生活していると、うっかり忘れてしまうことがしばしばある。昔は考えなくても仕来たりに逆らわないような行動をしていたのだと思うが、日本の生活が長くなるにつれ、その当たり前のようなことが当たり前ではなくなったのだ。たとえば、お茶碗を手に持ってご飯を食べたり、味噌汁のお碗に口をつけて飲んだり、ご飯を食べ終わってお箸をおくときに前に並べておくなど。少し変な目で見られることもあり、父親にひどく怒られたこともあった。
 韓国ではお箸と一緒にスプーンを使って食事をし、置く場所も右横に垂直にして並べておく。ご飯を食べるときもご飯とスープはスプーンでしっかりと掬って口に運び、お茶碗は絶対に持ちあげて食べない。日本人には当たり前のことだが、韓国の食文化の礼儀作法としては絶対してはいけないのである。ご飯を食べるときに正座をする日本人とは違って、韓国では座る時に男性は胡坐を組んで、女性は右足を立てて座るのが一般的である。日本では結婚式のようなめでたい席で口の広い盃を使うが、韓国では昔、悪いことをした人に毒薬の死刑を下したときに使う器が広く薄いものだったことからあまりいい印象を持たない。
 インドの人が手でご飯を食べるからって貶されることではないのは当然であり、スプーンとフォークを食材によって分けて食べるからといってすばらしい文化であると言い切れないのは当たり前である。お魚のお肉をとるときに韓国では平気で手伝うが、それはただの気配りであってそのほかにどんな意味も持たない。
 両班(ヤンバン)という身分が今も根強く残っている韓国人からみると、お茶碗を持ち上げてご飯を食べたり、味噌汁をスプーンじゃなくそのまま口をつけて飲む日本人を見ると、「ヤンバンではない」と思うかもしれない。また、正座ではなく片方の足を立てて座る韓国の女性をみると品がないと思われるかもしれない。しかし、そのすべては各国が持つ文化であって、その他にいかなる意味をも持たないものだと思う。文化は理解するものであって、比較し疑問視するものではないと思う。