(2004/1/19 プロパン・ブタンニュース)

今西恵美
(いまにし・えみ=名張近鉄ガス営業部リビング営業課)

人生いろいろ

 ふと振り返ってみると、学生時代まで同じような環境で、同じような生活を送っていたもの同士が、実にさまざまな人生を歩みだしていることに気がつく。
 大学時代の同じ学部で仲良くなった七人組は偶然にも一人を除く六人が商売人の娘だった。眼鏡屋、服屋、うどん屋、布団屋、食料品店と、揃ってどれも小さなお店。みんな口を揃えて、サラリーマンに嫁ぎたいと言っていた。
 眼鏡屋の娘は大学の同級生同士、私たちの中で一番早く結婚した。旦那さんの転勤で東京へ行っていたが、突然の脱サラ。二人で喫茶店を経営するが、二年ほどでやめ、今は持ち前の感性を活かし、広告代理店で働いている。旦那さんは消防士になった。
 やっぱりサラリーマンが良かったのだろうか。
 服屋の娘は学生時代から中国にはまっていて、よく一人で行ってきた話しを聞かせてもらっては文化の違いに驚かされた。四年前に会って以来、また中国へ行きそれから音沙汰がない。中国で結婚したのかも分からないが、今度会える時はたっぷり話を聞けそうだ。
 うどん屋の娘はチャキチャキの大阪っ子。とにかくよくしゃべり面白い。競馬好きがこうじて一人でアメリカまで競馬を見に行くつわものだ。そこで日本から来ている馬主と仲良くなり、日本に帰ってきてから一緒に馬主席で競馬を見ているからすごい。そんな彼女は大学を卒業後、某ハウスメーカーで店舗建築をまかされるまでになり、マンションまで購入した。そんな彼女も父親が体調を崩したとき、会社を辞めてうどん屋を手伝っていた。
 実は弟がいるが、粉アレルギーなのだ。潔さには女からみてもホレボレする。というか女にしておくのはもったいない。彼女の父親も無事体調がよくなり、今はハウスメーカー勤務時代に知り合った某大手スーパーの人から声がかかり、店舗開発の仕事をしている。
夢は新婚旅行でヨーロッパの凱旋門賞(競馬)を見に行くことらしい。
 そういう私はというと、卒業後就職したガス会社で早くも勤続九年目。はじめの一年は内勤であったが、二年目から六年間は軽トラに乗ってお客様宅へお伺いし、ガス器具の取り替え見積もりをしていた。伺った先のお客様の多くの方が驚かれていた。「あなたで大丈夫?」「えっ?」なんて言葉は何回聞いたことだろう。現場へ出るといろいろな人と出会い、いろいろな人生を垣間見る。いい意味でも悪い意味でも図太く成長したかもしれない。そんな現場生活も卒業し、今は女性三人で営業企画の仕事をしている。
 どうやったら売れるのか? 喜んでもらえるのか? この会社を身近に感じてもらえるのだろうか? 三人での試行錯誤は面白い。そういえば、この三人も商売人の娘なんだなあ。