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(2003/8/18 プロパン・ブタンニュース)

日本LPガス連合会専務理事
遠藤正利
三代目唐様に書く貸家札

 日本LPガス連合会専務理事の遠藤正利さんは八日、台風10号に向かって新幹線、バスを乗り継いで九時間がかりで大分県竹田市に行った。そして翌九日には熊本空港から羽田まで待ち時間をいれると八時間かけて帰って来た。故土井平治・大分県協会長の葬儀に参列したのである。台風に向かって行き、台風と共に帰って来たことになる。
 現職の協会長だから万難を排して行ったと言う。土井会長の死は、翌日が満七十歳の誕生日だったから六十九歳をフルに生きたことになる。弔辞を読まれた方が十人を超え、ご焼香の人は四百人以上だったと、故土井会長の徳を称えた。
 この対談は、お疲れだろうから日を改めようかと言ったら、帰京して日曜に休養したからと十一日の月曜に予定通り行った。
 遠藤さんは今年六月二十三日の日連第二十三回通常総会で専務理事に就任したばかりである。
 前籍は経済産業省で基礎産業局鉄鋼業務課長補佐、産業政策局商政課長補佐、同総務課産業交流企画官、中小企業庁長官官房総務課中小企業経営労働対策官、資源エネルギー庁官房海洋開発室長、北海道経済産業局総務企画部長などを歴任した。
 煩をいとわず遠藤さんの経歴を列挙したのは、氏がわが国産業の消長を直に見て産業政策を実施してきた経験と見識が構造改善事業に取り組む今の日連に大いに役立つと思うからである。
現場主義を強調
 日連事務局の人々にまず現場を知れ、販売業者がやっている現場を見ないで何をやろうと言うのだ。分からぬことがいっぱいある。誰に聞けばよいか。現場を知っている人々を活用すればよい。そういう人々のネットワークを作ることだ。日連と県協会の事務局どうしが分からぬことを教えあうことも大切だ。私の経験では、経済産業省は情報がたくさん集まってシンクタンクみたいな所である。これらの情報をオープンにして開示する。
 日連のような全国団体も同じで地域特性もよく知った上で全国業界の戦略本部になればよい。そのためには現場主義をいくら強調してもし過ぎではない。地方と都市部とでは条件の相違がある。県協会によって問題の取り組み方に温度差もあろう。それらの実情に応じて対処しなければならない。こうして前向きに取り組んでいけば各県協会は分かってくれるはずだ。
金太郎飴のような構造改善事業はナンセンス
 構造改善事業は今、業界の「ハヤリ言葉」になっている。だが、構造改革路線は最近始まったものではない。橋本内閣の六つの改革などかなり以前から言われていた。LPガス業界でも日協を中心に輸入ソースをサウジアラビア重点を移行するなどが試みられた。わが国の経済が高度成長期、安定期、バブル崩壊期と変化したが、八五年(昭和六十年)のプラザ合意の時までに、言い換えるなら景気がいい中に事業の持続的発展の方策を講じなければならなかった。
 だから今、構造改善をお題目のように唱えるのではなく、事業の活性化のための方策をとることである。構造改善事業が「金太郎飴」のようにどこを切っても同じであっていい訳はない。今年はこの事業の初年度で始まったばかりで、五年間継続の事業である。日連としては現場の声を聞きながら二年度、三年度と事業を継続させてLPガス事業の活性化を図りたい。
産業の衰退論
 遠藤さんは経済産業省の産業政策局時代の見聞を話してくれた。東京の城南地区の品川、大森は日本光学(ニコン)、城北地区の板橋は東京光学の城下町、旭ペンタックスはここで生まれた。町中にレンズのみがき屋、カメラの組み立て屋が繁盛していた。この日本のカメラが朝鮮戦争の零点下の寒冷地で凍てつかずに確実にシャッターがおりた。かくて日本のカメラは伸張した。これらの繁盛した下請け業者の三代目は今どうしているか。その住居はマンションに変貌している。孫娘は女子大生だ。何とか飯は食えてはいるが、産業の消長ということになると歴然たるものがある。
 筆者は遠藤さんのこの話を聞きながら故内田太郎さんに「三代目唐様に書く貸家札」というのを知っているかと言われたのを思い出した。内田さんは昭和四十八年、第一次石油ショックのとき衆議院商工委員会に参考人として出席して石油需給適正化法案の審議の冒頭で意見を陳べた。当時、内田さんは、日連副会長で東京都LPガス協会長だった。この内田陳述が家庭用LPガス価格十`千三百円という標準価格が決まる上に大きな役割を果たしたことはわが国LPG史家が語るところである。この辺りの事情については、昭和五十六年刊、東京都プロパンガス協会発行の「プロパン東京―都協25年のあゆみ」(編集・製作/石油化学新聞社)28〜31nに詳しい。
構造改善は意識改革か
 遠藤さんは産業衰退論から教育改革に話題を進めた。会社で働く者の意識改革が必要だと言う。そしてキャノンの御手洗冨士夫社長とローソンの新浪剛社長の話をした。御手洗社長は朝七時に出勤して幹部と自由な討論をする。そして実力主義、学歴や勤続年数を問わぬ人事政策を貫いて売り上げは単体で一兆七千八百億円、連結では二兆九千四百億円。ローソンの新浪剛社長は全役員二十人中で最年少、また東証一部上場企業の最年少社長で四十四歳である。社長就任早々、創業以来の店舗拡充による売り上げ至上主義を捨て、利益重視の経営に転換を宣言した。ここでも実力主義の人事制度を採用した。遠藤さんは二人の優れた経営者を引き合いに、構造改善は年功序列の終身雇用制度を見直す意識改革から始めねばなるまいと結んだ。

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