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(2003/4/14 プロパン・ブタンニュース)

新日本ガス社長
井宏康氏
ヤットカメダナモ

 新日本ガスの井宏康社長は、昭和20年生まれの58歳の男盛りである。平成元年4月に創業者の井隆市会長の跡を継いで2代目社長に就任した。昭和42年に明治大学経営学部を卒業して直ちに父の会社・新日本ガス入りした。敷かれたレールの上をひたすら走ってきただけだが、経営感はと問はれるならば「人は石垣、人は城、人は堀、情けは味方、讐(あだ)は敵」と甲陽軍鑑にあるじゃないか、全くその通りだと思って会社経営に当たっている。自分はドロ臭い人間だが、好みだけで人を律しない。派閥をつくらないように心掛けている。多少自分と違った考えの持ち主でもそれを生かして使って行くように心掛けている。この話を聞きながら親子って風貌や物腰だけではなく、考え方までもよく似るものだと思った。
 筆者はこのインタビューに備えて井隆市会長の自叙伝を大急ぎで読み返してきたのである。この本は平成元年に出版されたが、その制作はわが社の出版部が行った。執筆のお手伝いをして会長の出生地である岐阜県益田郡川西村四美(旧地名)に同行取材した。あの時は下呂の旅館に1泊して四美に行った。それから暫くして名古屋での会合で隆市会長に会ったとき「ヤットカメ(八十日目)ダナモ」とあいさつされて面喰っていたら、傍らにいた今は亡き後藤新治(名古屋プロパン社長)さんが、「お久しぶりだね」と通訳をしてくれた。宏康社長の話を聞きながら88歳でかくしゃくとしている会長の風貌がイメージされた。
 岐阜市のさくらは満開だった。インタビューを終えて金華橋のほとりをタクシーで花見をしたが、折しも寒冷前線の通過で激しい突風に見舞われた。慌ててタクシーに逃げ込んで独り呟いた。『ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ』と。これは于武陵の絶句を井伏鱒二さんの名訳だが、会長の「ヤットカメダナモ」の方があたたか味がある。
直売重点主義
 会長は昭和30年にプロパンガスに着目して大阪市の大日本プロパン(遠藤潔社長)と代理店契約をした。立ち上げのころはプロパンガスの卸しが主だったが、37、8年ころから直売に重点をおいた。昭和34年に完成した則武充填所を始め大垣充填所、尾張充填所、東濃充填所と続き昭和46年完成の海津充填所等々の旺盛な投資が続いた。また、岐阜支店を始め尾張、大垣、海津、名古屋、知立、小坂、東濃に支店網を築き直売を強化した。これによって直売消費者件数4万件、卸先の販売店(65店)の消費者3万余件を数える。LPガス販売量は年間4万4千トン、売上高74億円、経常利益4億5千万円である。これらの数字にはLPG以外に給油所やオイルセンター(中間三品の流通業)、ガス機器の販売、工事売上げも含む。バルク貯槽は80台を設置、2.3トンのバルクローリー3台が稼働している。本格的導入はこれからというところである。
電磁波の慎重なる回避をアピール
 岐阜市議会で乾尚美議員が電磁波による健康被害について一般質問を行った。乾議員は、国内では電磁波問題があまり取り上げられていないが、欧米では「21世紀の公害」として高い関心がはらわれている。この問題に対するヒントとなる考え方がある。それは「予防原則」あるいは「慎重なる回避」である。これはヨーロッパを中心に提唱され、実行されている。住民に一番近い自治体として市民の健康を守るために「予防原則」あるいは「慎重なる回避」に基づく行動をとるべきだと思う。岐阜市当局のこれに対する認識と今後の対策はと質問した。
 新日本ガスでは期せずして乾議員の議会質問と同時期に石油化学新聞社刊の「電磁波問題を考える―慎重なる回避をめざそう」を2万3千部購入してLPGの消費者に配布した。消費者はこの問題に大いに関心を示したという。
会社百年の計 
 新日本ガスはもう2年すると創立50周年である。半世紀にわたって事業を維持、発展させてきたことは誇るべきことだ。LPGの物性が優れ、これを普及させる適切な努力の成果だと思う。そして業界の将来を考えるとき、業界全体が発展する中で自分たちの経営もよくなる。協調と競争がバランスよく両立していなければならない。自分は次の世代にバトンタッチするまで当面10年か20年の見通しは建てられるが、創立50年だから次なる50年の百年の計となるとたいへんだと対談を結んだ。

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